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2020年10月 8日 (木)

「一日生きることは,一歩進むことでありたい。」

 本日も,2回目の更新です。 

 今週6日(火),全校朝会で「ノーベル週間」の話をしました。今年度も日本人科学者の有力候補者が多数いましたが,現在のところ,残念ながら「医学・生理学賞」「物理学賞」「化学賞」の中に日本人の名前はありません。

 本日8日(木)は「文学賞」の発表。長年期待されている,あの日本人作家が受賞するか,楽しみなところです。

 また,ノーベル賞に関して,その創設について,アルフレッド・ノーベルの遺言や,ダイナマイトの発明秘話とノーベルの死因の因果関係など,多くの逸話があり,これらも調べてみると大変興味深いものです。

 ところで,日本人受賞者は,これまで28名。1901年から始まったノーベル賞の歴史の中で,日本は非欧米諸国の中で最も多い受賞者数です。

 そして,日本人で初めてノーベル賞を受賞したのは誰だか知っていますか。本日は,その話を少し書きたいと思います。

 日本人初めてのノーベル賞受賞者は湯川秀樹博士。

 インターネットで調べてみました。

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 日本人が最初にノーベル賞を受賞したのは1949年で,太平洋戦争の敗戦から4年後。米軍の空襲で破壊された町中は廃墟の山であり,食べるものもろくになく,庶民は生きることに必死だった時代。

 そこへ日本人として初めて,京都大学教授の湯川秀樹がノーベル賞を受賞したニュースが飛び込んできた。42歳の若さだった。アジア人としてはインドの作家,ラビンドラナート・タゴール,物理学者のチャンドラセカール・ラマンに次ぐ3人目の受賞者となった。

 日本国民はこのとき初めてノーベル賞が世界で最も価値ある賞であることを知った。そして理論物理学という難解な分野で受賞したことに誇りを持つようになり,日本人の自信にもつながった。 出典:馬場錬成氏(科学ジャーナリスト)コラムより

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 戦後間もなくということもあり,湯川秀樹博士の受賞は,今以上に我が国に「希望」や「誇り」を与えるものだったと思われます。

 本題はここからです。実は,湯川博士が,牧之原中学校に来校された記録が残されています。『創立50周年記念誌 絆(きずな) 』(1998年発行)の39ページです。当時の思い出を,長崎つぎ子さん(旧姓:槐島,1956年卒業)が書かれています。

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 実は,ノーベル週間に入る数日前に,地域の方から連絡があり,「湯川博士が牧之原中学校に来てくださった,この事実を現在の中学生にも教えて欲しい」「そして中学生に,一歩一歩努力を積み重ねる大切さを教えて欲しい」と懇願されたのです。

 今回,タイトルに掲げた「一日生きることは,一歩進むことでありたい。」 この言葉は,湯川博士の名言集にあった言葉です。なかなか,努力の継続が難しい生徒たち。この言葉の意味や,地域の方々の思い,かつてこの地で,大雪の中,優しく語りかけてくださった湯川博士に思いをはせて,自分の好きなことや興味のあることに努力して欲しいと願ってやみません。

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